歴史

ピーナッツせんべいは、
45年前に祖父が始めたのがきっかけでした。

歴史
歴史

ピーナッツせんべいは、45年前に祖父が始めたんです。
それを母が継いで、今は私が焼いています。

小さい頃、夏休みと冬休みにはお店を手伝っておこずかい稼ぎをしていました。
その時に食べていた”おじいちゃんの味”は今でもはっきり覚えています。
二代目を継いだ、父と母はもともと畳職人でした。
ある時、手術をして重い畳が持てなくなったのをきっかけに兄弟の紹介でピーナッツせんべい作りを始めたんです。
当時父は42歳ぐらい。千葉県まで修行にも行ったんですよ。
まさに一念発起、すごい決断力と実行力です。

創業当時に京都のお菓子屋さんから譲ってもらったという保存用の木箱。
今も現役です。父の後を継いでしばらくして、ずっとせんべいを焼いてきた機械が壊れたんです。
修理しようとして分かったのは、実はそれが”麩”を焼く機械だったこと。
それを父がせんべい用に改造して使ってたんです。びっくりしました。
じゃあせんべい用の機械を入れたらもっと美味しく焼けるね、と言って買い換えたら、全然上手くいかなかった。
味も全く違う。そこからが苦労の始まりでした。

機械の買い換えと同時に製造の中心は3代目の私へ。
機械の調節は、私じゃないとできません!新しいせんべい用の機械では、調節できるのは火加減だけ。
それもこの4つのレバーだけで、大雑把に。
季節によって機械自体の温度も変わり、例えば寒いから部屋でヒーターをつけただけで焼き上がりが変わります!
温度の調節はある意味、手焼きよりも難しいと思います。
”元の味に近づけたい”と思うほど、どうしても超えられない壁があったそうです。
自分が焼くようになって、あまりに上手くいかなくて、お店をたたんだ方がいいかも・・・とも考えました。
納得がいかなくて、全部割れせんべいにして配ったこともあります。
それでも、休まずやり続けました。
自分たちが前の味を知っているから火加減を何度も調節して、それでも材料や配合は一切変えなかったと言います。

機械を変えて今年で6年目。
大智さんがせんべい作りを始めたのも、6年前。
おじいちゃんがやってきたように、私も今の機械と二人三脚でやっていきたいです。

全てと対話しながら。文句を言いながら焼くと割れたり、表面が黒くなったりする。
不思議ですけど。生地も、生きているんです。